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ロシアのスパイによる対日諜報活動の実態と最新動向

  • 執筆者の写真: 稲村 悠
    稲村 悠
  • 7月5日
  • 読了時間: 12分
ロシアのスパイ

ロシア諜報機関の主体と役割分担


 ロシアが日本で展開する諜報活動の担い手は主に3つの情報機関である。

 第一にロシア対外情報庁(SVR)であり、政治・経済・科学技術など広範な対外情報収集を担う。

 第二にロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)で、軍事・防衛分野の情報収集や工作に特化する。

 第三にロシア連邦保安庁(FSB)で、これは本来国内治安機関であるが、一部の要員が対日工作に関与することもある。

 これらSVRやGRUの機関員は、多くが在日ロシア大使館員や在日ロシア通商代表部員といった外交官身分で入国し活動している。SVRは主に外交・技術・経済・政治分野の情報収集を、GRUは軍事関連情報の収集を担当するとされ、それぞれの専門領域で競合しつつ協力もしながら対日諜報網を築いている。



日本国内における活動形態


 在日ロシア機関員の多くはオフィシャル・カバーとして外交官や通商代表部員の肩書で駐在している。外交特権による不逮捕特権を享受しつつ、情報収集活動に従事する形である。

 他方、ノン・オフィシャル・カバーとして民間人や企業人を装うケースもある。

 ロシア機関員はジャーナリスト、コンサルタント、研究者など民間職業に偽装することがある。実際の例として、2004年に幕張メッセで開催された電気機器展示会では「イタリア人コンサルタント」を自称する男(サベリエフ)がとある日本人社員に接近した。彼は「日本進出にあたり力を貸してほしい」などと持ち掛けて急速に親密度を高め、その後1年あまりの間に10数回もの会食や打合せを重ねて信頼関係を築いた。

 場合によっては、実在人物の身分を乗っ取る「背乗り」すら行う。

 1997年発覚の黒羽・ウドヴィン事件は、あまりにも著名な例である。諜報員のロシア人男性は日本人女性と結婚して家庭を築きつつ、妻もスパイとして教育を受け捜査員の写真を密かに撮影してリスト化するなど周到な活動が行われていた。

 最近では、他国人になりすました例も海外で露呈している。2022年にはブラジル人「ビクター・ミュラー」として10年近く活動し、オランダの国際刑事裁判所へのインターン就職を図った人物が、実はGRU所属のロシア人「セルゲイ・チェルカソフ」であったことが発覚した。このようにオフィシャル・カバーから完全偽装のイリーガル(非合法機関員)まで、ロシアは様々な手法で機関員を潜伏させているという事実を理解しなければならない。



ウクライナ侵攻後の傾向


 近年の国際情勢を踏まえたロシア諜報活動の新たなトレンドについて言及する。

 2022年のウクライナ侵攻以降、対ロシア感情が悪化し、ロシア外交官の追放措置が取られた結果、ロシア側は従来のオフィシャル・カバーによる諜報活動の見直しを迫られている。その影響は日本でも表れており、ウクライナ侵攻後にロシアによる諜報活動が停滞していた。

 そこで、ロシア機関員がロシア人であることを伏せ、ウクライナや東欧出身者になりすます偽装を行う傾向が一段と強まっている。

 日本国内でも、「ウクライナ人研究者」や「東欧系ビジネスマン」と名乗る人物が実はロシア情報機関員だったという可能性は十分考えられるだろう。ウクライナ人であればむしろ日本人の寄り添う心や好意を得やすいという状況を逆手に取った偽装戦術であり、今後そのような偽装工作が見られるようになると想定される。(ロシアは当然悪意ある加害者であるが、そのような偽装も全く意に介さずに行うだろう)



特に注意すべき海外でのアプローチ


 ロシアのスパイたちは、見込みのある日本人に対し巧妙に接近し長期的関係を構築する。

 そのために、国際会議や学会の会場で隣席に座り込む、大型展示会で企業ブース担当者に偶然を装って声をかける、ビジネス街の飲食店(新橋など)で食事中に話しかける、街角で道を尋ねるといった形である。

 特に注意しなければならないのは、これが日本国内だけで行われるというわけではない。 

 海外の学会や展示会で東欧系を装って接触されるケースもあり、むしろ海外における接触が、日本国内での対日諜報活動に繋がっている

 日本国内だけではなく、海外で接触・収集した日本人の初期情報をもとに、日本国内での諜報活動を展開していると推察される。



狙われやすい分野


 ロシアが情報収集の標的として狙う分野は、日本の国家戦略や先端技術に直結する領域が中心となっている。

 2023年度警察白書では、『令和4年6月、プーチン大統領は、ロシア対外情報庁(SVR)本部においてスピーチを行い、ウクライナ侵略に伴う欧米の制裁強化を踏まえ、「産業・技術分野の発展と防衛力の強化を支援することが優先すべき任務だ」と述べ、外国での情報収集活動を活発化するよう指示している』と示している。

 典型的には先端技術や先端科学分野であり、具体例として量子技術、人工知能(AI)、半導体、光学機器、宇宙開発、通信インフラ(5G)などが挙げられる。実際、過去の事件を見ると、ロシア側が日本企業から窃取を図った機密には最先端の通信技術や電子部品が含まれる。2005年には某大手電機メーカー子会社の元社員がロシア通商代表部員に軍事転用可能なパワー半導体技術を漏洩する事件が起きている。漏洩した半導体技術は一見民生用途のものであったが、潜水艦や戦闘機のレーダー、ミサイル誘導システムに応用可能な技術であったと分析されている。 

 更に、通信インフラ分野では2019年から20年にかけて発覚した5G機密漏洩事件において、第5世代移動通信(5G)の基地局設備に関する社外秘文書が在日ロシア通商代表部員に渡っていた。このように先端技術や防衛関連技術はロシア情報機関にとって最重要ターゲットであり、その知見を得ようと執拗な諜報活動が仕掛けられている。

 そうした機微分野の情報を入手するため、ロシア側はターゲットとなる日本人を協力者に仕立て上げる巧妙なリクルート手法を用いる。



エージェント獲得の手口


 一般的なパターンとして、対象者に接触して信頼関係を醸成し、「公開情報」の提供を求める段階から始まる。

 すなわち公開済みの公知情報であれば、対象者も警戒せずに応じやすく、「自分は何もやましいことはしていない」という安心感を抱かせることができる。機関員はそうしてハードルの低い依頼を重ねつつ、接待や些細な謝礼(動機付け)を渡し、対象者を情報提供に慣れさせていく。

 次の段階では「関係者しか知らない限定的な内部情報」を要求し、ここでも少額の謝礼(数万円程度の現金や贈答品)を提供する。

 対象者にとってみれば「社外秘とはいえ機密度は高くない情報を、多少の見返りと引き換えに渡す」行為であり、この時点で心理的な抵抗感が薄まり始める。

 同時にロシア側は対象者に対し「君の情報提供は非常に役に立っている」「あなたのお陰で助かっている」といった評価の言葉を掛け、承認欲求を巧みに刺激する。

 これにより対象者は「自分はこの人物(ロシア機関員)にとって必要不可欠な存在だ」という錯覚を抱き、さらなる協力に前向きになっていく。

 そして関係を深める中で要求はエスカレートし、本格的な機密情報の提供へと誘導される。その際には一回あたり十万円前後から時にそれ以上の高額な謝礼が支払われ、対象者は金銭的・精神的にスパイへ依存する状態に陥っていく。

 長期的プロセスを経て一度「エージェント化」された人物は、ロシア側にとって貴重な内部協力者となり、定期的な情報提供源として運営され続ける。その間、機関員は対象者への配慮を怠らない。情報の重要度に応じて謝礼額を変えたり、定期的に高級店でもてなして動機付けを強化し、忠誠心を維持させる。こうしてターゲットは自らの行為の重大性に目を背けたまま深みに嵌り、ロシア諜報機関の手駒と化していくのである。

 また、ロシア機関員は、決して自分の本名や素性は明かさず、表向きの偽名や偽肩書を通し続けて対象者に「正体不明の恩人」のような印象を与える。そして、メールや電話などログが残る通信は極力避け、一方通行型の秘密連絡を徹底している。初回接触時に次回以降の日時場所を設定して、もし予定日にロシア機関員が待ち合わせ場所に現れなければ「接触をスキップする」方式が徹底されている。これは捜査機関の気配を察知した際にスキップが行われるのである。

 そして、公衆電話や対面伝達のみで連絡を済ませ、傍受を回避し、追跡を極力困難にする工夫が見られる。

 これらのコミュニケーション手段は、ロシア機関員の典型的な特徴であり、当該手段に接した際は注意すべきであると即座に認識すべきである。



狙われる”人の脆弱性”


 「エージェント化」された人物には、金銭的動機や不満など「MICE」+「LDSS」といった「MICELDS」の動機が存在することが通常である。

 まず、「MICE」とは、ターゲットをリクルートする際の動機を分類したモデルで、ターゲットが持つ「弱点」を示す。

 「MICE」は次の各要素の頭文字をとったものである。

 ①金銭(Money)

 ②思想・信条(Ideology)

 ③名声や信用の危機(Compromise)

 ④欲求(Ego)

 このフレームワークは、冷戦期をはじめとする長年の実務経験や事例研究からまとめ上げられた経験則に基づくモデルである。

 また、「LDSS」は、家族愛・自己愛などの「Love」、人生や組織への不満「Disgruntlement」、ストレス「Stress」、秘密の共有・理解「Secret」の要素を指し、筆者は、従来のMICEに各要素を加えた「MICELDS」モデルを提唱している。

 「MICELDS」はターゲットをリクルートする段階と、運営期の2つのフェーズで使われる。リクルートする段階では、ターゲットが持つ「MICELDS」にアプローチし、強い動機を与える。運営期では「MICELDS」に継続的に作用することによって安定的にターゲットを動かしていくのだ。



気を付けるべき日本人の特性


 近年の国内事件を見ると、前述の「MICELDS」に加え、日本人の「親切心」や「知的好奇心」を突くリクルートが確認される。

 後者は、特に研究者や技術者に見られる傾向である。その知見を共有して意見を求めたり、より良い知識を得るべく同分野の情報に関心を持つ人物(本稿でいうロシア機関員)に逆に関心を持つ。

 この知的好奇心を的確に突く手法に加え、ロシアの典型的なリクルート手法に対するリテラシーが欠如することにより、リクルートされていくという構図である。



諜報活動と内部不正の関係性


 ロシアのスパイ工作は、日本側組織内部の人間による不正行為(インサイダー脅威)と表裏一体の関係にある。機関員が直接に機密施設へ侵入して情報を抜き取るのはあまりにも高リスクでナンセンスである。むしろ、内部の職員や関係者を取り込んで情報を入手する手法が一般的だ。

 つまり、ロシア機関員が欲しい情報のアクセス権を自らこじ開けるのではなく、アクセス権を持つ人間をリクルートする方が効率が良いのである。

 これまでの数々の事件はいずれも日本人内部者が自ら機密情報を持ち出し、ロシア側に提供したケースである。このように、ロシアのスパイ活動では、日本人を所属する組織の内部不正者化させることで、検知が難しく、対策が取りにくい厄介な手法なのである。

ロシアのスパイ

 内部不正を誘発する要因として、前述した「MICELDS」のように、ロシア機関員は対象者の動機や弱点につけ込む戦術が挙げられる。ロシア側機関員が対象者のパーソナルな信頼と恩義を巧みに利用し、見返りというより「友情への応答」として情報提供させた例もある。その他にも、出世欲や承認欲求につけ込まれる場合もある。対象者に「君の情報のおかげで我々は助かっている」「上層部もあなたに感謝している」と伝えることで自己重要感を高めさせ、相手の忠誠心や奉仕意識を操作するのだ。このようにインサイダーが不正に手を染める背景には、金銭・思想・感情・承認といった様々な人間的欲求の脆弱性が存在する。

 ロシアの諜報員はそれらを丹念に見極め、長期間かけて攻略することで内部協力者を獲得している。言い換えれば、内部不正による機密情報漏洩は決して偶発的な裏切りではない。

 更に、日本人個人のリテラシー欠如、組織的な情報管理策の欠如が組み合わさって発生するのである。



企業・組織として必要なカウンターインテリジェンス体制


 組織レベルでは、カウンターインテリジェンス(防諜)体制の強化が不可欠である。

国家機関のみならず先端技術を保有する民間企業や大学なども、自らが外国スパイの標的となり得るとの前提で備えを講じる必要がある。


・従業員教育・意識向上

 定期的にセキュリティ教育や内部啓発を実施し、スパイの勧誘手口について周知徹底する。具体的な過去事例を教材に、従業員が自分ごととして理解できるようにする。

 特に海外駐在予定者や先端技術に関わる社員には専門的なカウンターインインテリジェンス研修を提供し、接触する不審人物への対処法など実践的知識を身につけさせる。特に、シミュレーション型の訓練は非常に効果的である。


・基本的な情報保全体制の構築

 予防(抑止+制御)、検知(モニタリング、アラート、通報・相談)、対応(インシデント/アクシデント対応)の基本的対策を徹底するのは言うまでもない。


・相談窓口の設置と社員の保護

 社員が「同僚が怪しい外国人と頻繁に会っている」「身の丈に合わない金回りになっている」等の兆候に気付いた場合、匿名でも速やかに報告できるホットライン制度を用意する。

 また、特に重要なのは助けを発することができない社員を救う相談窓口の設置である。内部通報では心理的ハードルも高く、通報と相談では社員の心理的負担も大きく変わる。このような相談窓口は外部に設置し、徹底的に社員のプライバシーを保護すべきであるのは言うまでもない。

 なにより重要なのは、社員を疑うことではなく「守る」という意識なのである。


・防諜の専門家との連携

 企業においては、情セキ部門やコンプライアンス部門などに専門家を招き、現状のリスク分析・対策立案、研修・訓練企画において関与させることが有効であろう。ただし、専門家といっても、ただの官側出身者であるだけでは全く望ましくない。防諜の知見は確かに専門的であるが、むしろ、企業の技術流出防止にも深い知見を有している必要がある。

 また、警察・経済産業省などのインテリジェンス機関との情報共有も重要である。

 企業は、怪しい動きがあれば速やかに当局へ相談し、逆に当局から業界に出される注意喚起には真摯に耳を傾け対策を講じる。官民の緊密な連携により初めてカウンターインテリジェンスが達成されることを認識すべきである。


 以上のような多層的なカウンターインテリジェンス体制を敷くことで、組織はスパイから社員を守る防壁を築くことができる。特に、機密情報を「漏えいさせない」という予防的アプローチが何より重要となる。


 今回述べたロシア諜報活動の実態を直視し、国家・組織・個人が一丸となってカウンターインテリジェンス体制を強化していくことが肝要なのである。



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