人権リスク対応と内部不正対策の統合的アプローチ (第2回)
- 稲村 悠
- 5月23日
- 読了時間: 9分

不正の大きな要因である「内部」による不正を防ぐために、企業が人権リスク対応と内部不正対策を統合し、人権上の配慮とセキュリティ管理を両立させ、組織全体で一貫したリスク対応を行わなければならない。
経営トップのメッセージ
統合的な取り組みは企業文化の面でも大きな効用がある。
トップが一貫したメッセージで「人権も不正も決して許さない」と示し、全社で倫理観を共有することで「経営陣の示す倫理観」が強固になる。社員は企業の方針に矛盾を感じることなく、自らを倫理的主体の一員だと認識できるため、高い当事者意識を持って業務に臨むようになるだろう。その結果、内部通報制度などによる早期警戒シグナルも機能しやすくなる。
社員の信頼と協力を得られれば、不正や不穏な兆候をいち早く掴み被害を未然防止できる可能性が飛躍的に高まるのだ。人権リスク対応と内部不正対策を統合すれば、この「アーリーウォーニング」の網を企業内外に張り巡らせることができる。
サプライチェーン上の人権侵害疑義から社内の技術情報漏洩未遂に至るまで、一元的な通報窓口と対処プロセスでキャッチし、重大事態に発展する前に手を打つ体制は、ステークホルダーに対する安心感にもつながるだろう。
ひいては「この会社は誠実で信頼できる」という評判を醸成し、従業員エンゲージメントの向上や優秀人材の確保、取引先・投資家からの評価向上といった好循環をもたらす。統合的アプローチは単なるリスク管理手法に留まらず、企業文化を変革し組織の持続的成長を支える基盤となるのである。
教育・研修とインセンティブ
従業員に対し、人権尊重とコンプライアンス遵守が一体不可分の価値観であることを理解させるための研修を実施しなければならない。具体例やケーススタディを用い、「例えばこんな状況は人権問題であると同時に会社の不正にもなり得る」という形で学ばせると効果的だ。「現地子会社で長時間労働が常態化しているケース」を題材に、そのまま放置すれば労基法違反(不正)となるのみならず従業員の健康被害(人権侵害)を招きうること、適切に通報・是正すれば会社と従業員双方を守ることになる、等をディスカッションさせる。
また、管理職研修では部下から人権・倫理上の相談を受けた際の初動対応や通報窓口の案内方法、不適切行為を見逃した場合の責任などを教育する。
さらに、人権・コンプライアンスに積極的に貢献した社員を評価・表彰する制度もインセンティブとして有効である。内部通報制度の積極的活用を促すため、実際に通報により不正や人権課題を是正できた事例を社内匿名事例として紹介し、通報者や協力者に謝意を示すといった取組みも信頼感情を醸成するだろう。
社員管理体制の構築
内部不正の萌芽をいち早く察知するため、組織横断的なモニタリング体制を整備する。重要情報へのアクセス状況や持ち出しの試み、不審な業務上の振る舞いを継続的に監視できるよう、技術面ではアクセス制御や操作ログ管理、データ流出防止(DLP)システム等を活用する。
同時に、人事・法務部門とも連携し、懲戒処分歴や内部通報情報、従業員の勤務状況・メンタルヘルスなど人的リスク要因も統合的に見守ることが重要だ。
社内のインサイダー脅威対策に人事部門を組み込み、技術的指標と人間の行動面を総合的に管理する手法が推奨される。モニタリングを運用する際は、対象となる従業員のプライバシー権や職場の信頼関係に十分配慮しなければならない。
監視の基本方針として「内部不正をしていない社員の権利・地位・適正な処遇を保護するための施策」であることを周知することで、社員に「組織に守られている」という意識が生まれ、労使合意の下でモニタリングを実施しやすくなる。
実際、内部不正対策において人事部門には、教育・訓練の運営や退職時対策のみならず、モニタリング実施時に社員のプライバシー・人権を確保する役割が期待されている。
このように適切なルール設計と運用を行うことで、監視体制への社員の納得感を確保しつつ内部リスクの早期発見につなげることが可能となる。
内部通報制度の強化
企業内の不正や人権上の問題を早期に把握し是正するには、内部通報制度(社内ホットライン)の整備が欠かせない。法令順守の観点だけでなく、実効性のある通報制度は不正の芽を内部からいち早く摘み取り、被害を未然に防ぐ経営ツールとなる。
そして、この内部通報窓口を人権リスク対応における「救済」プロセスとも連動させる。
人権リスク対応に関するガイドラインでも、企業がステークホルダーからの苦情や紛争に取り組むための苦情処理メカニズムを確立すべきだと要求している。ハラスメントや労働環境への苦情から法令違反や情報漏えいの内部告発まで一元的に受け付けつつ、通報内容に応じて関連部署が迅速に調査・対応できる仕組みを構築することを推奨する。
通報者の匿名性確保や報復禁止を徹底し、従業員が安心して声を上げられる環境を提供することが重要だ。そして経営トップがこの制度を積極的に支持・活用する姿勢を示すことで、組織全体に「不正も人権侵害も見逃さない」という強いコンプライアンス意識が浸透する。

処遇の改善と重要社員の保護
内部不正の温床となり得る「不満」の芽を摘むには、従業員の処遇・職場環境を公正で健全なものに高めていくことが不可欠である。
評価や昇進・昇給のプロセスに透明性と客観性を持たせ、不公平感や猜疑心を生まないようにする。
実際、社員が人事評価や業績評価の公正さに疑念を抱くと職場環境が低下し、不平・不満を要因として内部不正を誘発する可能性がある。特にテレワーク勤務者が不当な待遇や疎外感を感じている場合、重要情報の漏えいを誘発する恐れが高まるとも指摘されている。
こうしたリスクを防ぐため、人事評価制度の見直しや管理職研修を通じて、納得性の高い評価基準とフィードバックの仕組みを整備することが重要である。
あわせて、職場の基盤となる労働環境の改善にも取り組まなければならない。
長時間労働や過重なノルマを是正し、適切な人員配置と業務量の調整によって社員が安心して働ける職場を実現する。従業員が悩みや不満を上司や人事部門に気軽に相談できる体制を整え、職場内の信頼関係を醸成することも欠かせないだろう。
実際、総務・人事部門が主体となって業務量・労働時間の適正化や相談しやすい職場風土の醸成に努め、上司や同僚との良好なコミュニケーションを促進することが内部不正リスクの低減につながるとされている。社員一人ひとりが組織から公正に扱われ、大切にされていると感じられる環境を築くことで、内部不正への心理的な歯止めが自然と働くようになるのである。
特に、重要技術の開発従事者やアクセス権者、認証権限者などは、会社による強度の監視と強い制御・制約を受けやすい立場にある。こうした重要社員に対するインセンティブの付与や適正な評価など、会社として「保護する」姿勢を打ち出すことも強く要求される。それが会社への組織愛や貢献する意欲にも繋がるのである。
人権リスク対応を通じて従業員のエンゲージメントが高まると、内部不正の発生可能性は大幅に下がることが見込まれる。逆に、従業員が「会社は自分を大切にしていない」と感じれば、社員も会社を顧みなくなり、その結果として組織にとって抑制できたリスクを生じさせてしまう恐れが高まる。
問題を抱える社員に早期に手を差し伸べて支援することで、内部脅威への転落を防ぎ、良好な労使関係を維持できる。結果として優秀な人材の流出や内部不正への加担を未然に防ぐ効果も期待できるのである。
要するに、人権尊重を軸とした経営姿勢は従業員の組織愛を深め、士気を高め、内部不正に対する強力な抑止力として機能するだろう。
モニタリングと継続的改善
統合的な人権リスク対応・不正対策の仕組みが機能しているか、定期的にモニタリングし評価することも不可欠だ。内部監査部門や第三者による評価を通じ、通報件数・内容の分析、対応までの所要日数、再発防止策の実施状況などKPIをトラッキングする。
例えば「内部通報の受付件数が異常に少ない部署はないか」「是正措置が有効に機能したか(再発が防止されたか)」等をチェックし、必要に応じて制度運用を見直す。経営会議で定期的に人権リスク対応および内部不正対策の進捗が報告される場を設け、経営陣自ら改善策を議論することが望ましい。こうした継続的改善プロセスを通じて、統合アプローチが企業文化として定着し、形式だけの制度に陥ることを防ぐ。経営層はこのPDCAを主導する姿勢を示す必要がある。
以上のポイントを着実に実行することで、人権リスク対応と内部不正防止の統合的アプローチは絵に描いた餅ではなく、実践的な経営手法として機能し始めるだろう。
人権リスク対応と内部不正対策の統合による持続的な企業価値向上
人権リスク対応と内部不正対策の統合的アプローチは、単なるコンプライアンス強化策ではなく、経営戦略の一環として捉えるべき時代に来ている。
企業を取り巻く規制強化と社会的要請の高まりに鑑みれば、両者を切り離したままでは不十分であり、統合によってはじめて実効性と説得力が伴うと言える。
経営層・管理職は、社内外のリスク情報を俯瞰し、一元的にマネジメントする姿勢を示すことで、初めてステークホルダーからの信頼を勝ち得るだろう。 現に、日本企業の中でも少しずつではあるが変化の兆しが見えている。ある上場企業では、人権リスク対応推進委員会と内部通報窓口を連携させ、従業員からのハラスメント相談やサプライヤーからの労働問題通報を同一プラットフォームで管理し始めた。
また、別の製造業では、経営トップが「安全で働きがいのある職場環境の維持」を人権方針および内部統制システムの目標に掲げ、取締役会で労働事故や内部不正の発生状況を統合報告するよう指示したという。こうした先進的な試みは、いずれも人権と不正を一体で捉える統治モデルへの転換であり、持続可能な企業経営の要諦を示している。
経営者・管理職にとって重要なのは、「人権尊重も不正防止も、企業の根幹的な価値観とリスク管理能力を問う」という認識である。どちらか一方でも欠ければ健全な経営は成り立たない。むしろ両者は表裏一体であり、片方の弱さは片方の失敗として必ず露呈する。

不正の温床となる組織では往々にして人権感覚も希薄であるし、人権軽視の風土は規律無視や隠蔽体質と表裏一体だ。逆に言えば、人権を大切にする企業文化は従業員のロイヤリティと内部統制の実効性を高め、不正抑止につながる。また強固な内部統制は組織に透明性と説明責任を根付かせ、人権侵害を見逃さない仕組みを提供する。
この相乗効果を最大化することこそが、現代の企業経営における競争優位の源泉となりうる。
経営層・管理職はこの機会を逃さず、人権リスク対応と内部不正防止の統合という次世代のガバナンスモデルを自社に実装する覚悟を決めるべきであろう。その先にこそ、法令遵守はもとより企業の持続的成長と社会的価値創造が両立した真の意味での「健全経営」が実現するに違いない。
おわり